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OVT 日仏ワーキングホリデー事務局OVT 日仏ワーキングホリデー事務局

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インタビュー:日本食レストランで働きながら各地を旅行

丸山 久美子さん

「今後やりたいことのビジョンが見えてきた」

2003年12月号・・・丸山 久美子さん


Q.なぜワーホリで渡仏されたんですか?
A.なぜでしょうね。気が付いたらワーホリで・・・というカンジです(笑)。
じつは遠距離で付き合ってた彼が交換留学でフランスのグルノーブルに行くことになったんです。私は全然いっしょに行く気はなかったんですよ。
その時日本でしていた仕事がとってもハードで、体調を崩して手術をしたんです。その時、「人生やっぱりやりたいことをやらなきゃいかん!」と思って、フランスに行くことにしたのです。
とりあえず行ければなんでも良くって、学生ビザにしようか、3ヶ月未満の滞在だけにしようか・・・と悩んでいたときにワーホリがあったことを思い出し、さっそく申し込んでみたわけです。


Q.日本ではどのようなお仕事をされていたんですか?
A.地元山梨のインターネットタウンサイトを作っていました。
情報を掲載し、メルマガを出すという、よくあるスタイルのものですね。
このシゴトをしている時、自分が流す情報でヒトがなにかを感じてくれて、その情報をきっかけにヒトが動き、そこに新しいモノやヒトとの出会いが生じるということにスゴク感動しました。
その前提として大切なのは、『ヒトとヒトとのつながり』だということも痛感したことのひとつです。
ゼロの立ち上げから携わっていたのでとても愛着のあるシゴトでした。
サイトのコンテンツや内容、取材・撮影・記事作成・メルマガとすべてこなしていたので、やっぱりムリしてたんですね(笑)。本人はとても楽しんでしていたのですが、カラダの方が先にギブアップしてしまいました。

Q.それで申し込んだワーホリを取れたのでしたらラッキーですね。
申込書にはどんなことを書いたんですか?
A.じつは私の申し込みの直後に東日本の申し込みが締め切られたんです。これはダメだったろうな~と思っていたら2ヶ月ぐらいして「認可します」という通知が!本当にラッキーだったと思います。もしこのビザがなかったら不法滞在していたかもしれません(笑)。
申請書には、それまで仕事にしていたネット関係のことを中心に、日本とフランスをつなぐ新しいラインを見つける!というようなことをえらそうに書いたような気がします。主題をひとつにまとめて書いたのでわかりやすかったんじゃないでしょうか。あれもやりたい、これもやりたい、と欲張って書くとけっこう印象が薄くなってしまうような気がします。 基準はまったくわからないですけどね(笑)。

Q.フランスでの10ヶ月はどのように生活しましたか?
A. 12月~7月後半まではリヨンの南100キロにあるグルノーブルという街で暮らしました。彼の大学がここにあったんです。グルノーブルでは主にホームステイしながら1月~3月は学校に行き、その後7月まで日本食レストラン(ラオス人経営!)で働きながら各地に旅行にいきました。
8月からはパリで2ヶ月暮らしました。パリでもシゴトを探したんですが、期間が短いのとフランス語がビジネスレベルに達していないのと、そしてちょうどバカンス中だったということなどが重なり、やむなく断念。仕方なく?パリ観光および旅行に費やしました。

Q.もともとフランスには興味を持っていたんですか?
A.うーん、正直に言って、そんなに興味を持っていたわけではありません。フランス語もまったくわかりませんでしたし。着いてから語学学校に入ったんですけど、クラスは一番下、まったくのデビュタンから始めました。
ただ、もともとフランスの映画やアートは好きで、日本では積極的に見ていました。

Q.フランスに着いてすぐトラブルに遭われたとか。
A.着いて3日目でメトロでスリに遭ってしまったんです!パリに2泊してグルノーブルへ移動するその日。忘れもしない14番線Pyramides駅!小学校3・4年生ぐらいの子供たちに囲まれて時間を聞かれて、で、気が付いたらカバンの中からお財布だけなくなってたんですよね。今思えば日本ボケのアタマのままうろついていたんですからいいカモですよね。今でもドア越しに見えたうれしそうにサイフを持ってる女の子の顔が浮かんできますよ~。あぁ悔しい!!
つぎの駅で戻ったんですが、もちろんいるはずがなし・・・。すぐに地上に出て近くの日本人経営のブティックと思わしきお店に入って事情を説明。在仏日本大使館発行の日本人向けパリ安全対策ガイドに記入し、その足で警察に行きました。事情聴取はそれほど手間もかからず(ガイドのおかげ)、被害届をもらって警察を出たころにはもうグルノーブル行きのTGVは出発した後。
幸い追加料金もなく次のTGVに変えることが出来たからよかったものの・・・。
で、もちろんその中にはクレジットカードや免許証などが入っていたので、グルノーブルでの生活が始まっても生活費すらおろせない状態。幸いはじめは彼といっしょだったので、当座の生活費はなんとかなりましたが、ホームステイ、語学学校の費用となるとけっこうな額。泣く泣く親に頼んでお金を借りました。

Q.グルノーブルではホームステイをされていたそうですが、どのように見つけたんですか?
A.グルノーブルにあるスタンダール大学のCUEFという語学学校に通うことになったのですが、そこの事務に紹介してもらいました。
フランス語はまったく出来ない状態だったので、はじめはかなり苦労しました。幸いホストマザーが英語を流暢に話せたので、大切な意思疎通は平行して英語でもしていました。“フランス語しか話せない!”という状況に自分を置くのもいい勉強になると思うけれど、私にとっては“フランス語話せるよ、英語もいいよ”というのが逆に安心できてよかったと思っています。はじめからフランス語だけだったらきっとヒステリー起こしちゃう(笑)。
それと、英語でやり取りしながらも、失敗しちゃったことが一度だけあるんです。
初めてのホスト料の支払いのとき、部屋を見にきたときの「ステイメイトは毎月5日ぐらいに払ってる」という言葉をインプットしてそのつもりでいたんです。でもその月に限って入用だったらしく「○日の○時までに払ってね。」という言葉が耳を素通りしていたんです。韓国人のホストメイトと遊びに行ってしまって結局その日は払わず。「クミコはイエスって言ったのに・・・」と帰宅した時マザーに言われて「しまったー!」と。いい加減にうなずいていたがために、大切なことを確認するの忘れてたんですよね。お金に関することって後々響いてくるので、ちゃんと明確にしておいた方がいいと思いました。
幸いそこのホストファミリーとはその後はなんのトラブルもなく、快適に暮らすことが出来ました。結局グルノーブルにいた8ヶ月中5ヶ月その家庭でお世話になりました。

Q.パリでのステイ先はどのように見つけたんですか?
A.パリではバカンス貸しを利用しました。
グルノーブルから2度ほどアパート探しに行ったのですが、なかなかいい物件がなく、あったとしてもとても高くて借りることが出来ませんでした。
また、借りるにしても2ヶ月では短期で契約も難しく、保証人を立てることも出来なかったので正式な賃貸契約をあきらめました。
おりしも8月9月とちょうどバカンス最中。バカンス貸しというのは、家主がバカンスでその部屋を空けている期間、家賃を肩代わりするようなカンジでその部屋を借りられるというもの。
アノンスの中にも多くのバカンス貸しが見られ、そのひとつに申し込んでめでたく決まったわけです。
ワタシが借りたのは日本人の学生の女性で、カノジョはちょうど8月9月と日本に里帰りするためにバカンス貸しを希望していたようです。
炊飯ジャーや茶碗に箸などもそろっていて、とても暮らしやすかったですヨ。

Q.グルノーブルでの生活とパリでの生活の違いは?
A.基本的な生活はあまり変わらないのですが、アートに触れる機会は、やはりパリの方が圧倒的に多いですね。グルノーブルでもジャズフェスティバルや美術展などはありますが、そんなに頻繁ではないと思います。パリの方が日常の生活にアートが溶け込んでいると思いました。コンサートホールや劇場といったスペクタクルを堪能できる場所の数がたくさんあるのもパリのいいところ!!もっと行っておけばよかったと今でも後悔していますよ~。
もちろんグルノーブルにもパリとはまた違った魅力もあります。なによりも自然が近いこと!一番印象に残っているのは、ホストファザーに連れて行ってもらった雪山トレッキング。日曜日の午前中、ちょっとした時間でそんなことが出来るのはグルノーブルならでは。
>>ちなみに、雪山のぼりのレポートはこちら

Q.旅行された先でオススメの場所はどこですか?
このページの写真にも使ってもらったんですが、プロヴァンスのリュベロン地方にあるゴルドGordesという村がオススメです。
ここはワタシの初めてのフランス旅行の途中、レンタカーで立ち寄った村なのですが、くねくねとまがった山道を抜けて、丘を覆うようにひとつの村がカーブの向こうから現れた時は、本当に感動モノでした。まるで天空の城ラピュタの城で、まだ人々が生活を続けているような雰囲気です。
丘のてっぺんにある教会の脇に車を停めて、でこぼこの石畳を歩いて、マルシェを見る。この場所でしたことはたったそれだけなんですけど、ものすごく印象に残ってるんです。

Q.渡仏前と渡仏後、なにか変わったことはありますか。
A.そうですね。いいかげんに渡仏したわりにはいろいろな経験が出来て、今後のやりたいことのビジョンがぼんやりと見えてきた、かな?と思います。
日本で働いている時は、ただがむしゃらでなにも考えずに働いていたんです(笑)。
フランスで暮らし始めても、やっぱりなにをしたいかはっきりせずに悶々としていました。
グルノーブルでは彼も近くにいたので、やっぱり甘えている部分があったんでしょうね。
パリにひとりで住むようになって、いろんな場所を見て、旅行して、いろんなヒトに出会って、自分の得意な部分、不得意な部分をじっくりと見つめなおす時間があって(なんせ無職でヒマだったから)・・・。
“自分” という人間を少しは客観的に見られるようになっただけでも、大きな変化だと思っています。
それとともに、自分のやりたいこともわかってきたような気がします。

Q.帰国されて現在はどんな生活をしているんですか?
A.帰国する前から学生時代にアルバイトしていた、レストランライブハウスで年内お手伝いすることが決まっていました。
今は週に5日ほどアルバイトをしています。
その一方で、友人などと集まってイベントを企画しています。

Q.今後の人生設計は?
A.ワタシがやりたいことは「おもしろい人の集まる場所を作る」ことです。
とりあえずは目の前にある面白そうなことを片っ端から仕上げています。
ヒトが集まって、楽しめて、ホッとリラックスできるような、そんなイベントを創っていきたいと思っています。


ありがとうございました。
渡仏をきっかけに、自分のやりたいことをはっきり認識することが出来たという丸山さん。
彼女には、OVT主催のイベント、VT交流会の企画・運営の主力スタッフとして奔走していただきました。
有意義な交流会となったのも彼女のおかげです。
あれだけの行動力と判断力があれば、今後、イベントクリエーター、フリーライターとして間違いなく世界で活躍できることと思います。
いつの日か夢が実現されることを願っています!
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テーマ:ワーキングホリデー - ジャンル:海外情報

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